マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自己だけでなく、自我も作り換えられるか

 ――病気の症状を片っ端から見つけ出して、それら症状を根本から治していこう。

 という「全症根治(ぜんしょうこんち)」の考え方から、

 ――病気の症状は、この世界に誕生をしたときから既に始まっているのだから、これら症状を根本から治していくには、生体の在り方それ自体を見直さねばならない。

 という「汎症根治(はんしょうこんち)」の考え方へ切り替えることについて――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そのように切り替えていけば、自ずと、

 ――自分たちの体を有機物から無機物へ作り換えるのがよい。

 との結論に至る、と――

 

 ……

 

 ……

 

 では、

 ――自分たちの体を有機物から無機物へ作り換える。

 ということを実行に移すには――

 具体的に、どうすればよいのでしょうか。

 

 この問いに答えるのは――

 そう簡単ではありません。

 

 ――自分たちの体を有機物から無機物へ作り換える。 

 ということを実行に移す場合は――

 その前提として――

 自分たちの体を成している物質のことが、すべてわかっている必要があります。

 

 それだけではなくて――

 自分たちの体を司っている原理のことも、すべてわかっている必要があります。

 

 その上で――

 新たな体の設計図を記し――

 それに従って、無機物の体を一から作り上げていくことになるでしょう。

 

 当然ながら――

 そこで疑問が生じます。

 ――自分たちの体を作り換える際に、自己だけでなく、自我も作り換えることができるのか。

 という疑問です。

 

 (そこが、よくわからない)

 と思います。

 

 ……

 

 ……

 

 ――自己

 や、

 ――自我

 については――

 2020年1月1日の『道草日記』で述べました。

 

 簡単にいってしまうと、

 ――自分で自分のことを認識するときに、その主体が「自我」であり、客体が「自己」である。

 となります。

 

 自分たちの体の大部分は自己ですから――

 これを有機物から無機物へ作り換えるということは、さしあたり、自己を作り変えることにほかなりません。

 

 もちろん――

 21世紀序盤の科学技術では――

 そんなことは夢物語です。

 

 が――

 今よりも遥かに高度に発達をした科学技術であれば、

 (ひょっとすると、可能かもしれない)

 とは思います。

 

 一方――

 

 自我を作り換えることについては、

(それは、ちょっと無理ではないか)

 と思います。

 

 もちろん――

 この議論は、

 ――自我を司る原理

 が解明をされない限り――

 決着がつくことはありません。

 

 そして――

 21世紀序盤の自然科学では――

 その解明は、

 (永遠の謎のように思える)

 というのが実情です。

 

 2019年12月31日の『道草日記』で――

 僕は、

 ――「自我」とは、“過去の感覚”の集積が脳や心の中に作り上げる何かである。

 との推量を述べましたが――

 これは僕が勝手に推し量っていることであって――

 21世紀序盤の自然科学の総意というわけではありません。

 

 しかも、

 ――“過去の感覚”の集積が脳や心の中に作り上げる「何か」――

 と、わざわざ暈(ぼか)しています。

 

 ですから――

 これ以上の議論は難しい――

 

 つまり――

 何か根拠らしきことを挙げて――

 それに基づき、

 ――自我を作り換えること

 は、

 ――原理的に可能である。

 とか、

 ――原理的に不可能である。

 とかいうことはできません。

 

 とはいえ――

 

 (自我を作り換えるのは、たぶん不可能だろう)

 と、僕は直感をしています。

 

 自我を作り換えるには――

 それまでの自我を壊すと同時に、何か新たな自我を作ることが必要です。

 

 が――

 

 (そんなことが可能とは、ちょっと思えない)

 というのが――

 僕の直感です。

 

 (いったん自我が壊されてしまったら、少なくとも、その自我にとっては、すべてが終わってしまうのではないか――つまり、自我は死んでしまうのではないか)

 そう思います。