マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“汎症受忍”の発想に依る必要がある

 ――全症根治(ぜんしょうこんち)

 から、

 ――汎症根治(はんしょうこんち)

 を経て、

 ――汎症受忍(はんしょうじゅにん)

 へ至る流れについて――

 おとといの『道草日記』で述べました。

 

 この流れは――

 現代の医学・医療の主流かもしれないし、主流ではないかもしれません。

 

 が――

 いずれにしても、

 (近い将来、主流になるだろう)

 と――

 僕は考えています。

 

 もし、

 ――全症根治

 や、

 ――汎症根治

 が、今後の医学・医療の主流であり続けたならば――

 

 遠い将来――

 医学・医療は、間違いなく、

 ――自分たちの体を有機物から無機物に作り替える。

 といった試行に挑むことになるでしょう。

 

 そのような作り換えが、最終的に可能かどうか――

 僕には、よくわかりません。

 

 何となく、

 (不可能じゃないか)

 と思っていますが――

 

 その根拠を――

 現代医学や現代科学の知見の中に見出すことはできません。

 

 ただ、漠然と、

 (無理だろう)

 と感じているだけです。

 

 そして――

 より大切なことは――

 僕らが生きている間は、

 (絶対に無理だろう)

 と感じていることです。

 

 先ほど述べたように、

 ――自分たちの体を有機物から無機物に作り替える。

 といったことが、

 ――不可能である。

 と結論づける根拠を――

 僕は持ち合わせていませんが――

 

 ――可能である。

 と結論づける根拠もまた、何ひとつ持ち合わせてはいません。

 

 妥当な根拠を何ひとつ持ち合わせていない以上――

 僕らは、

 ――自分たちの体を有機物から無機物に作り換える。

 という試行に拘泥はしないほうがよいでしょう。

 

 つまり、

 ――全症根治

 や、

 ――汎症根治

 の発想を捨て、

 ――汎症受忍

 の発想に依る必要がある――

 ということです。