――汎症受忍(はんしょうじゅにん)
の発想について――
きのうの『道草日記』で述べました。
――あらゆる病気の症状の原因を受け入れ、それら症状を耐え忍んでいくこと
です。
その「原因」というのは、要するに、
――生老病死
の、
――生
のことですから――
――汎症受忍
というのは、結局は、
――あらゆる病気の症状の原因を受け入れ、それら症状を耐え忍びながら、いかに生涯を楽しんでいくか。
ということです。
別のいい方をすれば、
――どのようにして病気の症状と共存をしていくか。
ということです。
――汎症受忍
の発想に依るならば――
病気の症状の原因を根本から取り除くことは、それほど重要なことではありません。
もちろん――
容易に取り除ける原因については、すみやかに取り除けばよいのですが――
そうでないものが多数を占めるのが現実である以上――
それらを根本から取り除くことに全力を傾けるようなことはしないのです。
その代わりに――
病気の症状を和らげる――つまり、耐え忍びやすくする――ということに注力をする――
その上で、
――いかに生涯を楽しんでいくか。
という課題に取り組んでいくことになります。
いいかえるなら――
――あらゆる病気の症状の原因を根本から取り除くには、結局は、自分たちの体を有機物から無機物に作り換えることが必要である。が、その作り換えは容易ではない。可能かどうかも、わからない。仮に、可能であったとして、その作り換えは、自分たちにとって本当に意義のあることかは、わからない。
というのが、
――汎症受忍
の発想です。
あるいは、
――「自分たちの体を有機物から無機物に作り換える」といったことに全力を傾けるのではなく、もっと他のことに注力をするのがよい。
という発想です。