マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「不衰不滅」と「全憂根絶」とは同義ではない

 2015年の国連総会で採択をされた、

 ――持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals, SDGs

 は、社会という生態における、

 ――不衰不滅(ふすいふめつ)

 ないし、

 ――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)

 の発想に依っている――

 ということを、4月30日の『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう「汎憂根絶」は――

 5月6日の『道草日記』で述べたように、

 ――全憂根絶(ぜんゆうこんぜつ)

 の誤りです。

 

 ただし――

 ここで看過しえないのは、

 ――不衰不滅

 と、ほぼ同義と考えられるのは、

 ――汎憂根絶

 のほうであって、

 ――全憂根絶

 のほうではない――

 ということです。

 

 患者という個体において、

 ――不老不死

 と、

 ――全症根治(ぜんしょうこんち)

 とが同義とはみなせないように――

 社会という生態においても、

 ――不衰不滅

 と、

 ――全憂根絶

 とは同義とはみなせません。

 

 ここに、

 ――持続可能な開発目標

 の深刻な問題点が隠れているように――

 僕には思えます。

 

 ――持続可能な開発目標

 では、

 ――不衰不滅

 と、

 ――全憂根絶

 とが同義とみなされているように――

 僕には感じられます。

 

 (そうじゃないだろう)

 と思います。

 

 4月25日の『道草日記』で述べたように、

 ――不衰不滅

 とは、

 ――人の文明が、いつまで衰退をせず、滅亡もしないこと

 であり――

 「汎憂根絶」改め、

 ――全憂根絶

 は、

 ――浮世の内憂を全て見つけ出し、根本から絶やすこと

 です。

 

(浮世の内憂を全て見つけ出し、根本から絶やしたところで、人の文明が、いつまでも衰退をせず、滅亡もしないということが保証をされるわけではない)

 と思います。

 

 ――不衰不滅

 と、

 ――全憂根絶

 とは、決して同義ではないのです。

 

 が――

 それらが同義とみなされているように感じられる――

 それこそが、

 ――持続可能な開発目標

 に隠れている難点である、と――

 僕は考えます。