マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

訂正:「汎症根治」→「全症根治」、「汎憂根絶」→「全憂根絶」

 ――Sustainable Development Goals, SDGs

 つまり、

 ――持続可能な開発目標

 は、浮世の内憂を片っ端から挙げていく発想に基づいていて――

 まさに、

 ――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)

 の発想である――

 ということを、4月30日の『道草日記』で述べました。

 

 この「汎憂根絶」は、僕の造語です。

 

 意味は――

 4月25日の『道草日記』で述べたように、

 ――浮世の内憂を全て見つけ出し、根本から絶やすこと

 です。

 

 この「汎憂根絶」――

 

 (ちょっと「汎」の使い方を間違えたなぁ)

 と思い始めています。

 

 ――汎

 ではなく、

 ――全(ぜん)

 とするべきであった、と――

 

 ……

 

 ……

 

 ――汎憂根絶

 は、

 ――汎症根治(はんしょうこんち)

 から導出をしています。

 

 この「汎症根治」も、僕の造語です。

 

 意味は――

 4月20日の『道草日記』で述べたように、

 ――あらゆる病気の症状の原因が特定をされ、その治療方法が確立をされること

 です。

 

 (この「汎」も使い方を間違えた)

 と思っています、

 

 ――汎

 ではなく、

 ――全

 がよい、と――

 

 つまり、

 ――汎症根治

 ではなく、

 ――全症根治(ぜんしょうこんち)

 がよい、と――

 

 ……

 

 ……

 

 ――汎

 には、

 ――広く行きわたっている

 とか、

 ――あまねく及んでいる

 とかいった意味があります。

 

 よって、

 ――全て片っ端から

 とか、

 ――あらゆる

 とかいった意味を込めて、

 ――汎症根治

 あるいは、

 ――汎憂根絶

 と記したのですが――

 

 (いやいや、ちょっと待てよ……)

 と思い始めたのは――

 

 いわゆる、

 ――汎神論

 の「汎」を思い出したからです。

 

 ――汎神論

 というのは、ごく簡単にいってしまうと、

 ――全ての事物を神と同一とみなす宗教的・哲学的な立場

 です。

 

 ――全にして一、一にして全

 などといいます。

 

 この、

 ――全にして一、一にして全

 の概念に、

 ――汎

 の字義は割と近いといえます。

 

 僕のいう、

 ――汎症根治

 や、

 ――汎憂根絶

 の「汎」は、そうではありません。

 

 単に、

 ――全

 と記せば足りる概念です。

 

 よって――

 「汎症根治」ではなく、

 ――全症根治、

 であり――

 「汎憂根絶」ではなく、

 ――全憂根絶

 である――

 と、するのがよかったと思うのです。

 

 訂正をします。