マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“汎憂根絶”や“不衰不滅”を成し遂げるには

 社会という生態にとっての、

 ――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)

 つまり、

 ――不衰不滅(ふすいふめつ)

 は――

 患者という個体にとっての、

 ――汎症根治(はんしょうこんち)

 つまり、

 ――不老不死

 と同じくらいに至難の業である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 5月9日の『道草日記』で述べたように――

 患者という個体にとっての、

 ――汎症根治

 つまり、

 ――不老不死

 を成し遂げるには――

 おそらく、

 ――自分たちの体を有機物から無機物に作り換える。

 ということを成し遂げる必要があるでしょう。

 

 では――

 社会という生態にとっての、

 ――汎憂根絶

 つまり、

 ――不衰不滅

 を成し遂げるには――

 何を成し遂げる必要があるでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 その答えは、

 ――汎憂

 の出自を辿ることでみえてきます。

 

 なぜ、

 ――汎憂

 は生じているのか――

 

 つまり、

 ――人の世の中――社会という生態――の内部に存在をしている問題

 の根源は何か――

 

 ……

 

 ……

 

 色々な答えが可能であろうと思いますが――

 

 僕は、

 ――自我が互いに独立をしている複数の個体が存在をしているから――

 と考えます。

 

 卑近な例を持ち出しますと――

 一人暮らしの家庭には、一切の家庭内問題が生じえません。

 

 これと同じように――

 たった1つの自我から構成をされている社会には、一切の社会内問題が生じえないと考えられます。

 

 よって――

 社会という生態にとっての、

 ――汎憂根絶

 つまり、

 ――不衰不滅

 を成し遂げるには――

 複数の自我からなる社会を単数の自我からなる社会に作り換えればよい――

 という結論になります。

 

 その作り換えは――

 簡単にいえば、

 ――自我の統合

 です。

 

 例えば、

 ――あなたの自我と僕の自我とを1つに合わせること

 です。

 

 そんなことが可能なのか――

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん、不可能でしょう――有機物の体をもっている限りは――

 

 が――

 もし、無機物の体をもっていたら、ひょっとすると、可能かもしれません。

 

 つまり、

 ――複数の自我からなる社会を単数の自我からなる社会に作り換えること

 は、

 ――有機物の体を無機物の体に作り換えること

 の遥か先にあるといえます。