マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人生の残り時間を数える

 ――人生の残り時間を数える。

 と、口にしてはみるものの――

 どうも実感が伴わぬ。

 いかほどの時間が自分に残されているのか――
 己の人生の終幕は、いつ訪れるのか――

 そういった疑問を抱くことが、

 ――人生の残り時間を数える。

 ということだと思うのだが――
 どうもピンとこない。

 人生の残り時間を、本当の意味で、数えられた気がしないからである。

 僕は今年の9月で33歳になる。
 例えば、人生を80年とすれば、あと47年、生きることになる。

 が、父は59歳で亡くなった。
 例えば、人生を59年とすれば、あと26年、生きることになる。

 このように、人生の残り時間を数えてみたところで、
(いったい、どこまで信じられるよ?)
 と自嘲してしまう。

 明日に死ぬかもしれぬし、来年に死ぬかもしれぬ。
 26年後に死ぬかもしれぬし、47年後に死ぬかもしれぬ。
 60年後に死ぬかもしれぬし、70年後に死ぬかもしれぬ。

 いや――
 どうもピンとこないといったが――
 そんなことはない。

 何となく気分が悪くなってきた。

 ピンとこないと思ったのは――
 ピンときたくなかったからかもしれぬ。

 来年に死ぬとか――
 47年後に死ぬとか――

 自分で自分の人生を冒涜している気になってきた。
 愚かなことに思える。

 人生の残り時間など、できることなら、数えたくはない。