格差社会に突入したといわれる。
簡単にいえば――
人生の「勝ち組」「負け組」に二極化した、ということだ。
具体的には――
例えば、正社員と非正社員との二極化である。
あるいは――
富める企業は、いつまでも富み続け――苦しい企業は、いつまでも苦しみ続ける――そういうことである。
たしかに――
今の社会の雰囲気は、国民のほとんどが中流意識をもっていたような時代とは、違っている。
格差社会らしきものの到来は間違いない。
格差があることを認めた上で、さて、どうするか――
格差を是正するべきか――
あるいは、格差をそのままに、「負け組」から「勝ち組」への脱却のチャンスを増やすのか――
先週、自民党の総裁に就任した安倍晋三氏は、「再チャレンジ」なる標語を掲げている。
普通に解釈すれば、「格差はそのままに、敗者復活の機会を増やす」ということである。
安倍氏は次の総理大臣が確実視されている。「再チャレンジ」は次期政権のスローガンの一つであろう。
格差を容認する社会の雰囲気は、当分の間、続くものと思われる。
勝負事が好きな人にとっては、実に結構な話だ。
が、嫌いな人にとっては、実に困った話だ。
二極化はあってもよい。
が、それは、必ずしも「勝ち組」「負け組」の二極化である必要はない。
勝負事を好む人々と嫌う人々との二極化でもよい。
「再チャレンジ」は勝負事を好む人々しかみていない。そこが気になる。
勝負事を好む人々は、放っておいても再チャレンジをする。
政治は、勝負事を嫌う人々にこそ、目を向けるべきだ。
勝負を挑まなくても最低限の生活が保証されるような仕組みは、あったほうがよい。