マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本の政治を変えた理屈

 とうとう最後まで務め切った。

 小泉総理のことである。

 明日の午前、小泉内閣は総辞職をする。
 自民党総裁の任期を名実ともに全うできた総理大臣は、近年にない。おそらく、中曽根首相以来である。

 ――政局に強い政治家

 の真骨頂といえよう。
 支持率は最後まで40%台を保った。政権末期としては、信じられぬ高さだ。

 が――
 40%である。つまり、60%は「支持できぬ」ということだ。

 たしかに――
 ひと頃の「純ちゃんブーム」は去った。

  純ちゃんと 叫んだ私が バカだった

 なる川柳まで飛び出した。
 小泉総理を悪くいう人は多い。

 が――
 僕は、それには与せぬ。
 むしろ、漠然とした敬意を抱かずにはいられなかった。

 この『道草日記』の中で、僕が何度となく「小泉総理」と称してきたのは、そのためである。
小泉首相」ではシックリこなかった。

 敬意を抱いた契機は――
 過去2度の総裁選での負けである。1995年および1998年の総裁選だ。

 政党内選挙では、負けるとわかっている候補は、わかりやすい言動に終始する。
 そして――小泉候補は常に「負けるとわかっている候補」であった。

 小泉総理のわかりやすさは、このときからだ。
 筋金入りである。

 政権を手にした後も、わかりやすさを維持した姿に、僕は感銘を受けた。
 政治家の原点をみた気がした。

 誤解のないようにいっておくと――
 僕は、小泉総理の政策の全てに賛同はせぬ。
 とりわけ、外交面では賛同できぬ。

 が――
 小泉総理の政治手法には賛同したい。
 あれは見事である。

 小泉総理に理屈はないという人がある。

 そうではない。
 理屈はある。ただ、それが愚直なまでにシンプルなので、わかりづらかった。

 その理屈とは――
 政治は、政治家や官僚たちのものではない――国民のものである――だから、わかりやすい言葉で語らねばならぬ――
 というものだ。

 この理屈が日本の政治を変えた。
 小泉総理の業績である。