マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本にカバーは必要ないか?

 最近、電車の中で本を読む人々をみていて、気になることがある。
 本にカバーをつけていない人が多いのだ。

 表紙が剥き出しの状態で読んでいる。
 タイトルが丸見えだ。

 他の見ず知らずの乗客たちに、自分の読書の趣味を告白しているようなものなのだ。

 僕が生まれて初めて電車通学を体験していた頃は違った。
 1990年頃のことである。

 電車の中で本を読む人々は、必ずといって良いほど、本にカバーをつけていた。

(公共の場で本を読むとは、こういうことか――)
 と、妙に納得した覚えがある。

 それが――
 今は、むしろカバーをつけているほうが少数派である。

 人々の意識が変わってきたということか。
 環境破壊や過剰包装との兼ね合いである。

 ちなみに――
 僕は今でも「カバーをつける派」である。

 さすがに、環境破壊や過剰包装は気になるので――
 使い回しをしている。

 といっても、布製のカバーではない。
 紙製のものである。

 書店の包装用の紙カバーを使い回しにしている。

(そこまですべきか――)
 とは思うものの――
 やはり、読んでいる本の表紙は隠したい。

 場合によっては、激しく誤解を招きうるからだ。

 だって――
 今日、僕が電車の中で読んでいた本は、

 ――女だらけの死体ファイル

 というタイトルである。
 まるで猟奇的ポルノ小説のようである。

 ね。
 激しく誤解を招くでしょ?

 どんな本かは、明日の『道草日記』にでも――