人を上手に応援するのは、至難の業である。
何よりも、位置取りが難しい。
近付きすぎては、おこがましいし――離れすぎても、ダメである。
どちらも、自己満足に終わりかねぬ。
「離れすぎてはダメである」というのは――
応援が、何らかの形で伝わらなければ、意味がないということだ。
極端な話――
例えば、心の中だけの応援では、何も変えられぬ。
応援する者の自己満足だけで終わってしまう。
かといって――
応援する相手に、わざわざ、
――私が応援しているよ!
と伝えるのも、どうか。
応援というものは――間接的にせよ、匿名的にせよ――とにかく、本人に伝わればよい。
例えば、応援する作家の新刊を毎回、必ず買っていく、というように――
それでも、十分に意味のあることだ。
もちろん、本人に、
――私が応援しているよ!
と伝えても良いのだけれど――
それが、かえって困惑させることもある。
本人に伝えると、伝えた方は気持ちが良いけれど――
伝えられた方は、かえって気が滅入るということも、あったりするのだ。
人によって性質や事情は様々である。
応援されて落ち込む人も、ないわけではない。応援は、ときに圧力と化しうる。
結局――
上手に応援するには、相手の実情を見極めねばならぬ。
手前勝手な応援は、迷惑なだけなのだ。
実情を見極めるためには、相手に近付かねばならぬ。
が、近付きすぎては邪魔になる。
――付かず、離れず――
それが基本となる。
だから、難しい。
何事も、極端に走るのは容易である。
最も厄介なのは、中庸の実践である。
応援上手は、希有な資質だ。