マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

科学と科学技術との境界

 科学と科学技術とは、やはり別物だと思う。
 少なくとも、別物とみたほうが、理解はしやすい。

 評価のされ方が違う。
 良い科学や良い科学技術の判断基準が異なる。

 科学は多くの人々に淡い夢を与え、科学技術は特定の人々に確かな益を与える。

 科学の場合、「多くの人々に」というところがポイントだ。
 一方、科学技術は「確かな益を」というところがポイントだ。

 通常、この2つは相容れぬ。
「多くの人々に」かつ「確かな益を」というのは、神業に近い。
 たいていは、どちらかになる。

 まれに神業をみる。
 そういう成果が世に広く顕彰される。

 ノーベル賞が最たる例だ。

 かの賞は科学の成果の顕彰を目的としているが、単に科学的価値だけではなく、科学技術的価値にも配慮がなされている。
 まさに、神業のみをすくいとるように義務付けられているといってよい。

 もっとも、受賞年や研究分野によって若干の偏りはある。
 例えば、今年の場合――医学・生理学賞は科学技術よりで、物理学賞は科学より――というように――

 だから、話は、とことん、わかりにくい。
 科学と科学技術との境界は、

 ――ないと思えばあるし、あると思えばない――

 というような、かなり、ややこしい話になってしまう。

 ちなみに――
 今年の医学・生理学賞はRNA干渉の発見、物理学賞は宇宙背景放射の実測であった。
 ここ2、3日で発表されたことである。

 科学ネタや科学技術ネタの辛いところは――
 RNA干渉や宇宙背景放射が何なのかを説明するのに、膨大な字数を必要とする――ということだ。

 新聞などをみると――
 何とか、わかるようには書いてある。
(さすが――)
 である。

 が、わかっている人がみるから、わかるのであり――
 わかっていない人がみたら、何のことやら、サッパリわからぬのではないか。

 少なくとも――
 なぜ、それが顕彰に値するのかは、わからぬに違いない。