マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

足るの知られざるを悟る

 ――足るを知る。

 という言葉がある。

 幸せに生きるためには、重要な言葉だ。

 欲望にはキリがない。
 何かものが手に入れば、次のものが欲しくなり――
 次のものが手に入れば、次の次のものが欲しくなる――

 課長になれれば満足だった者が――
 やがて、部長になり、役員になり、ひいては取締役会で謀反を起こす――

 月15万円の収入で満ち足りていた者が――
 やがて、月50万でも飽き足りず、ひいては月1000万を足掻き求める――

 悲しいが――
 それが人というものだ。

 そうした欲望の連鎖を断ち切って、

 ――そろそろ、ここらで、やめとくか。

 と、歯止めをかけるのが、

 ――足るを知る。

 ということである。

 歯止めは、自発的でなければ、意味をなさぬ。
 自然な気持ちで、

 ――やめとくか。

 と思えなければ、早晩、元の木阿弥――
 欲望の連鎖でグルグル巻きとなる。

 富も名誉も、地位も権力も――
 あの世に持っていくことは叶わぬ。

 人は、母胎から生まれ落ちたままの姿で、土に帰っていく――老いて醜く変形した上で――

 ――足るを知る。

 とは、こうした境地をいうのだろう。

 おそらく――
 より正確には、

 ――足らざるを知る。

 である。
 あるいは、

 ――足るの知られざるを悟る。

 である。
 人は、真の意味では、決して満ち足りることはないのである。