マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

政治の話は危険

『道草日記』に政治ネタで怒りをぶちまけると――
 なぜかアクセス数が増加するようである。

 本来、政治という営みは、怒りとは無縁であるべきはずだが――
 僕の場合には、政治ネタに怒りを盛り込まぬ限り、読者の皆様の御関心は買えぬようである。

 不徳の致すところである。

     *

 十代後半の頃――

 ――オメーら、なんで政治の話をしない? ヨーロッパとかに行くと、十代の連中は、みんな政治の話をしているぞ。

 と、いわれた。

 たぶん、イギリスへの留学経験がある人だ。
 年齢は、当時の僕よりも15くらい上だった。
 ちょうど今の僕くらいの年齢だ。

 そうである。
 当時の日本では、十代の若者たちは、ほとんど政治の話をしなかった。
 今でも、たぶん、そうだろう。
 代わりに、盛んに政治の話をしているのは、中年以降のオジさんたちである。

 ヨーロッパでは、逆だという。
 政治の話は、若者たちが盛んにし、オジさんたちは、ほとんどしないらしい。

 理由は簡単で、

 ――政治の話は極度に私的である。

 という意識が、ヨーロッパのオジさんたちには根付いているからだ、という。

 自分の支持政党や支持政策が、他人とは違うということが、ごく当たり前で――
 かつ、政治上の立場が違うということには議論の余地など全くないということが――
 周知徹底されているのだろう。

 もっとも、そのようなヨーロッパのオジさんたちは、かなりの知識人ないし裕福層に限られているようにも思える。
 ヨーロッパのオジさんたちが、日本のオジさんたちよりも、総じて優れている――ということなどはありえまい。

 それは、ともかく――
 政治の話は危険である。
 諍いを避けたいのなら、そんな話は不用意にするものではない。

 だから――
『道草日記』でも、政治の話は、極力、避けてきた。
 どうしても我慢できぬときにだけ、書くようにしている。

 といっても――
 たぶん説得力はないなあ。