昨日、一昨日と、政治の話を書いてきた。
政治の話は憂鬱になる。
とくに安倍政権になってからは、そうである。
だから、あまり書きたくはない。
が、書かずにはおれぬ。
*
「美しい国へ」などという。
実に安直な主観の塊である。
こんな塊を公約に掲げる人物が、今の政権の首班である。
――頼むから、政治の基本は知っててよ! 国会議員を10年以上もやってんなら!
と、怒鳴り付けてやりたい。
何が美しくて、何が美しくないか、ということは――
個人の主観が決めることである。
安倍首相が美しいと思うことと、僕が美しいと思うこととは、一致せぬ。
そもそも、全国民が何かを等しく美しいと思うなど、ありえぬ。
皆が、それぞれに、美の基準をもっている。
それら基準を一様に尊重した上で、どこかに落としどころを見出すべく、模索をし続けるのが、政治家の務めである。
だから、
――美しい国へ
というスローガンは、政治家の責務を放り出した宣言に等しい。
――模索はヤメだ! 私の基準に皆が合わせよ!
ということである。
安倍首相が、首相になる前に、書籍『美しい国へ』を著したときには、
――何とか本を売ろうとしての苦肉の策か。
と、同情的にみた。
タイトルが難しいと、本は売れぬ。
――売るためは、政治の基本を曲げてでも、わかりやすいタイトルにせねばならなかった。
と理解した。
唖然としたのは――
安倍首相が、国会の場でも平気で、
「美しい国へ――」
と公言するのを、TVでみたときである。
――この人、宰相の器にあらず。
と、強く思った。
いったい、高校、大学で何を学んだのか?
政治を知っているのか?
実に初歩的な無理解だ。
基本が抜けている。
それでも、首相の座に就けたのは、応用に強かったからであろう。
わかっていない基本を応用し、それなりの成果を出してしまう――そういう人は、割といるものだ。
概して、成果以上に害悪を巻き散らす。
世に、
――安倍政権は短命に終わる。
といわれる。
その見立てが当たることを、この国のために、切に願う。