マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

潔く生きたいが

 僕は今、33歳なのだが――
 ときどき、自分が33歳であることが、わからなくなる。

     *

 昔――
 まだ僕が小学生だった頃――

 ――ノストラダムスの大予言

 というのがあった。

 ――1999年、七の月に、恐怖の大王が降りてくる。

 とかいったような内容で――
 人類滅亡を暗示した終末予言として、子供たちの間だけでなく、大人たちの間にも広く流布していた。

 子供心に――
 僕は考えた――
(1999年ということは、僕は26歳か)
 と――

(26歳といえば、もう大人だな)
 と――

(大人まで生きられるなら、まあ、いいか)
 と――

 もちろん、本当には死にたくなかったし、本当の意味で人生を諦めていたわけではなかったけれど――
 でも、

 ――26歳まで生きられれば、まあ十分かな。

 という直感は、偽らざるところであったように記憶している。

(たぶん、その頃には仕事をしてて、結婚もしてて、たぶん子供もいるし……)

 それで――
 あるとき突然、人類全体が滅亡するなら、それは仕方がない――自分一人で死ぬのはイヤだけど――
 そんな諦観が、心の奥底には、あったようなのである。

     *

 その26歳を、8年近く過ぎた。

 過ぎて、わかったことは――
 人生の儚さである。

 26年の人生で味わえることなど、ごく限られている。
 とても満足のゆくものではありえない。

 それなのに――
 いくら子供心とはいえ――
 どうして、僕は、

 ――26歳まで生きられれば、まあ十分かな。

 などと感じたのであろうか。

 あの頃の直感が、今も少しは心に残っているのなら――
 今の僕は、いつ死んでもよい身――ということになる。

 そうありたいとは思う。

 が、残念ながら――
 そんな風には生きていない。

 そんな境地は、まだ遠い。

 小学生の頃の自分が、うらやましいのだ。
 本当に、うらやましいと思っている。

 あの頃は――
 どうして、あんなに潔くなれたのか。

 たとえ、子供の無知に基づく迷妄だったとしても――

 本当に、うらやましい。