僕が学生だった頃に――
ある人が僕に向かって、
「人生っていうのは、ある時期を境に、急に先がみえてくるものなんだ」
といったので――
(へえ)
と思ったのです。
それで、
「じゃあ、その『ある時期』というのは、いったい、いつなんですか?」
と訊いてみたのですが――
そうしたら――
その人は急に黙ってしまいました。
ちょうど還暦を過ぎたくらいの人で――
社会的地位の高い人でした。
(なんで黙ってんだろ?)
と思って――
当時の僕は大いに訝(いぶか)ったりしたわけですが――
今にして思えば――
黙っていた理由は2つあったのです。
1つは、
――なんだ、この若造は?
という感情です。
要するに「ムっ」ときた、と――
もう1つは、
――そういう「ある時期」というのは、実は存在しないんだな。
ということに、その時に初めて気がついた――
たしかに、人間、何十年か生きていると「人生の先がみえた」と感じることはあるのでしょう。
が――
それは、ただ、そう感じているだけであって――
決して本当にみえているわけではありません。
何歳になっても、交通事故で死ぬことはありえるわけですし――
突然、子供たちに先立たれることだってあるかもしれないし――
何気なく買った宝くじがバカ当たりするかもしれないし――
40歳年下の異性と、いきなり恋に落ちるかもしれない――
もし、人生の先がみえるとしたら――
それは、死の直前でしょう。
――ああ、これでおしまい。
というあの一瞬――
7年前――
僕は父の死に立ち会いました。
そのときに――
父は生まれて初めて自分の人生の先がみえていたのだと感じました。
そういうことを見通してしまった寝顔に、僕にはみえたのです。