人生を登山に喩えた上で、
――いかに安全に下山するかがポイントだ。
という話をきいたことがあります。
警句の一種です。
つまり――
山頂に登りつめたあとで転んでしまって、そのまま滑落死する人生もありうるのだと、警鐘を鳴らしているのですね。
たしかに、山岳地帯の高峰のような人生を歩む場合には、とくにそうでしょう。
人生の絶頂期に些細なことで躓いて、一気に死へと追いやられる人生を――
僕は何回か見聞きしています。
山頂に登りつめたあとが危ない、というのは――
住宅地の裏山のようなところであっても、たぶん同じです。
もちろん、住宅地の裏山なら滑落死は稀でしょうが――
それでも、滑落すれば、どんな怪我をするか、わかりません。
ぜんぜん高くない山であっても無事に麓へ辿り着くまでは慎重になるほうがよいに決まっているのです。
ところで――
*
この喩え話の警句で、僕が気になったのは――
登山を人生になぞらえる発想――それ自体でした。
実は僕――
子供の頃に、何回か登山をやっておりまして――
その結果、どうにも楽しめなかった経験があります。
2000メートル級の頂きに登っても、
(ここは、夜になったら真夏でも寒いんだ)
などと心配をしてしまい、絶好の風景を観賞するようなゆとりがもてず、
(一刻も早く麓に下りて家に帰って風呂に入って布団にもぐりこみたい)
などと思っていました。
そんな僕にとって、
――人生は登山だ。
という発想は――
自分では、とうてい思いつけない発想であるばかりか――
なんともキツい発想です。
もし、人生が登山だったら――
たぶん僕は、一刻も早く麓に下りて家に帰って風呂に入って布団にもぐりこみたいと思いますよ。
これは、「人生は登山だ」という発想のもとでは、
――早く死んでしまいたい。
という欲求に相当するのでしょうかね。
……
……
なんて自殺願望の強い人生でしょう(苦笑
……
……
まあ、それはともかく――
僕には、「人生は登山だ」とは、ちょっと思いません。
人生、山あり谷あり――
平地があって、湿地があって、密林があって、砂漠があって――
ただ山道を歩くだけではなく、ときには自転車をこいだり、車を運転したり、電車や飛行機に乗ったりして……それが人生でしょう。
たった一山の登頂に喩えてよい人生などは存在しえない、と――
僕は信じております。
家に帰って風呂に入って布団にもぐりこむことも含めて、人生のはずです。