マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

いま自分が気になっているニュースを、家族や友人・知人らと共有するのが

 何かニュースをみて、
(あ、面白そうだな!)
 とか、
(なんか気になる……)
 などと強く思うときには――
 それがTVのニュースであっても、新聞や雑誌の記事であっても、あるいは、ネットのサイトであっても――
 たいていは、プライベートな動機に根ざしています――少なくとも、僕の場合は――
 
 実は、この「プライベートな動機」というのは、かなりの婉曲表現でして――
 実際には、
 
 ――純粋に利己的な関心
 
 あるいは、
 
 ――唯我独尊的な興味
 
 とでもいいますか――
 要するに、「私は、これこれこういう理由で、このニュースに興味を持っています」と人さまに向かって胸を張っては説明できないような理由で、関心や興味をもってしまっている――
 ということです。
 
 なので――
 どうしても慎重にならざるをえないのですね。
 
 いま自分が気になっているニュースを、家族や友人・知人らと共有するのが、ためらわれるのです。
 
 まあ――
 表面的に共有するだけなら、かまわないのですが――
 
 ……
 
 ……
 
 僕は――
 本当の意味での「プライベートな動機」というのは――
 その元をたどっていくと、必ずや“毒”に行き当たると、僕は思っています――“毒”というのは、自分の心が抱え込んでいる負の部分あるいは醜い側面です。
 
 この“毒”は、どんな他者とも共有しないほうがよいと、僕は思ってます。
 たとえ、相手が同居家族や親しい友人であったとしても――です。
 
 なぜならば――
 その“毒”の耐性を、共有相手が獲得しているとは限らないからです。
 
 もちろん、自分自身は獲得していますよ――だからこそ、自分の心に抱え込めているわけです。
 
 が――
 相手も獲得している保証はない――
 
 それなのに、獲得していると思い込んで、一方的に共有を働きかける――“毒”の気をまきちらす――のは、大変に危険なことでしょう。
 
 ひょっとすると――
 その気にあてられて、相手の心が病んでしまい、最悪、死に至ることさえも、ないとはいいきれません。
 
 自分が気になっているニュースを、家族や友人・知人らと共有するのがためらわれるのは――
 そのためです。