8月に入って、にわかにマスメディアが戦争のことを伝え始めましたね。
「戦争」というのは、63年前に終わった「あの戦争」のことです。
「太平洋戦争」といったり、「大東亜戦争」といったりします。
マスメディアが戦争を伝えること自体に文句はありません。
むしろ、賛成です。
ああいうものは、伝えないよりは伝えたほうがいいのですよ。
仮に、伝え手の色メガネを通って極度に偏向していたとしても、受け手がマトモなら、ちゃんと修正をかけるでしょうから――
それに――
あの戦争をリアルに体験した世代は、どんどん亡くなっている時代ですからね。
僕自身は――
子供の頃から戦争のことに関心をもってきました。
母の入れ知恵です。
僕が――
まだ4歳か5歳かだった頃――
「もし、いま戦争になったら、どうする?」
と、母に訊かれたことがあります。
「戦争に行く?」
と――
「行かない」
と、僕は答えました。
「だって、鉄砲の撃ち方とか戦闘機の乗り方とか知らないし――」
と――
「そんなの、いくらでも教えてくれるわよ」
と、母はいいました。
吐き捨てるような口調でした。
母は国家を全く信用していなかったのだと思います。
今も、たぶん信頼はしておりません。
戦中生まれですから――まあ、自然なことです。
母とのそんなやりとりを、僕が鮮明に覚えているくらいですから――
当時、母は、よほど息子を反戦思想で染め上げたかったのでしょう。
その試みは、たぶん成功しています。
筋金入りの反戦思想のせいで、20代の僕は、随分とケンカをしました。
「ウヨク」対「サヨク」の不毛な論戦です(笑
いま思えば、言い方が違っていただけで、どちらも同じことをいいたかったのだとわかりますが――
そんな僕が、最近、気付いたことがあります。
それは、
――戦争の体験談は、子育ての経験の有無で大きく変わってくるのではないか。
ということです。
僕に子供はいません。
が、甥と姪とがいます。
今年で、それぞれ6歳と2歳とになります。
戦争の体験談の中に、幼子の惨い最期の話が出てくると、心の底から怒りがわいてきます。
戦争を始めた者たち――止めなかった者たち――への怒りです。
その怒りは、国家を全く信用していなかった30年前の母の態度に、どこかで通じているのかもしれません。