マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

喫茶店で聞き耳

 喫茶店で聞き耳をたてるのは、本当に面白いのですね。
「面白い」というか「ためになる」――人間とか人生とかの細部がみえてくる――

 決してイジワルで聞き耳をたてるのではありませんよ。

(こいつ、どんなヤツなんだろう?)
 とか、
(ちげーよ。何、ウソいってんだよ)
 とか――
 そういうイジワルな気持ちで聞き耳をたてるのであれば、すぐにやめたらいい――
 そんなのは、ただの憂さ晴らしですから――

 そうではなくて――
 人間や人生の細部がリアルにわかる瞬間を捉えよう、とか――
 社会や世間のことを広く学ぼう、とか――
 そういう気持ちで聞き耳をたてるのです。

 そうすると、おぼろげながらもみえくることがある――
 それは、一言でいえば、

 ――いかに人間一人の存在がチッポケなのか。

 ということです。
 もう少しいうと、

 ――いかに人間一人の見方が狭量で、知識が限られていて、感性が偏っているか。

 ということですね。
 そうした人間一人の中に自分も入るわけですから、当然、

 ――いかに自分一人の見方も狭量で、知識が限られていて、感性が偏っているか。

 ということを想像しないわけにはいきません。

 ところで――
 喫茶店という所では、一人でいれば何も喋らないのがふつうです。

 何か喋っているということは、必ず相手がいるわけでして――
 その相手と喋り手との関係性も示唆に富んでいます。

(この喋り手は、たぶん、他の人には、こうは喋らないだろうな)
 とか、
(相手が、こういう聞き方をしているなら、こう喋るしかないよな)
 とか――

 喫茶店にいると、人間の言動が、いかに状況や文脈に左右されているかも、よくわかります。
 たぶん、自分の言動も、そうなっているとみなすほうが無難でしょう。