マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

優れた詞の希少性

 詞のメッセージ性に優れた唄は――
 例えば、文意が適度に明瞭で、その意味するところが相応に奥深い場合には――
 声に出しては歌いにくい詞であったりするものだ。

 反対に――
 詞のメロディー性に優れた唄は―― 
 例えば、音韻が適度にシャレていて、機知に富んだ言葉の遊びが巧みな場合には――
 深く味わうには物足りない詞であったりするものだ。

 メッセージ性とメロディー姓と――
 これら双方に優れている詞を、僕らは、

 ――格段に優れた文芸である。

 と高く評価してよい。

 が――
 なかなか、そんな作品に出会うことはない。

 たいていの傑作は、メッセージ性のみに優れているか、メロディー性のみに優れているかの、どちらかである。

 この希少性を嘆くことには意味はない。
 個人の主観世界の狭量性を批判するつもりなど、僕には毛頭ない。

 たしかに、あらゆる審美眼がそうであるように――
 詞の審美眼にも、多分に主観が混じっている。

 が――
 その希少性は、おそらく個人の主観世界の中に完結しているであろう。

 メッセージ性の美を測る基準と、メロディー性の美を測る基準とは、別次元の座標軸で設定されている。
 そのために、生じ出る希少性であろう。

 当然の帰結である。
 次元の異なる座標軸の数値を足し合わせることには、原理的な困難が含まれている。

 5メートルと五重奏とを足し合わせることの、いかに困難か――
 10メートルにも十重奏にも、なるわけではない。