マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

それでも桜は咲いてくれる

 ここ数年、桜の花をみていると――
 色々なことを考える。

 小学校の入学式の日に満開だった校庭の桜のこと――
 中学校の入学式でも満開だったか、僕は初日から遅刻していったので、とても花見どころの気分にはなれなかったこと――

 桜の良さが、まるでわからなかった十代後半――
 桜の香りが、いたいけな少女の甘さに重なった二十代前半――
 桜の衰えが、自然の残酷の発露に思えてきた二十代後半――
 桜の儚さが、骨身にしみてわかってきた三十代前半――

 それでも――
 僕らは、少しは安心することができる。

 だって、桜は――
 たぶん、来年も咲いてくれるから――

 来年は絶対に咲かないとわかっている桜が、もし、あったとしたら――
 どうだろうか。

 そして、その桜が――
 今を盛りと、美しく咲き誇っていたとしたら――

 溢れ出る涙を、人は抑えることができなくなるに違いない。

 桜の美は、究極的には、一回性に秘められている。

 ――これが最後の――

 と思わせるから――
 桜の薄紅は天に舞い上がる。

 そのからくりを、桜は、わかっているに違いない。

 自身の美を極めんと欲したら――
 毎年、咲いてはダメなのだ。

 それでも桜は咲いてくれる。

 たぶん、来年の春も、咲いてくれるだろう。