なんとも物騒な一日だった。
報道によると――
選挙戦中の長崎市長が銃撃されたり、アメリカの大学で銃の乱射事件が起きたりしている。
銃という道具は、人を殺傷するには、まことに都合がよい。
この都合のよさに、僕らは、もっと敏感になるべきではないか。
アメリカで銃規制に反対する人々が拠り所とする主張に、次のようなものがあるという。
曰く、
――ハサミは危険である。ハサミで人を傷付けることができる。が、誰もハサミを規制しろとはいわない。銃も同じであるべきだ。
と――
誤った主張である。
陥穽は、ハサミおよび銃によってもたらされる損害の程度を同一視しているところにある。
無差別殺人者がハサミを振り回す分には、たいした損害とはなるまい。
少なくとも、銃を撃ち回すよりは、たいしたことがない。
銃の規制は、無差別殺人者を多少なりとも抑え込みやすくするための手段である。
無差別殺人を試みる者は、いつの時代の、いかなる社会においても存在すると、僕は考えている。
少数ながらも、必ずや存在する――
そうした者たちが無差別殺人を実践しがたくなるように――
また、仮に実践したとしても、実害が生じがたくなるように――
銃は規制されるべきだ。
とくに難しい理屈ではあるまい。
だから――
例えば、日本では銃は厳しく規制されている。
アメリカも、そろそろ目を覚ましたほうが、よいのではないか。
現代社会の実態に合わせ、それ相応に厳しく規制されるべきであろう。
こと銃に関する限り――
アメリカは後進国である。
これだと――
いつか、本当の後進国になってしまうかもしれない。
もちろん――
余計なお世話なのだが――