――自分の身の周りにある具体的な事物のみに関心を払って暮らすのがよい。
という考え方があります。
一見、狭量で偏屈な発想ですが――
そうではなくて――
この考え方の本質は、
――“認識の空中戦”は危険である。
との警告です。
すなわち、
――自分の身の周りから遠く離れた抽象的な事物に関心を払っていると、現実的な感覚に基づいた暮らしができなくなるばかりか、かえって、それら抽象的な事物の認識を誤る。
ということですね。
では、どうすべきか――
まずは、自分の身の周りにある具体的な事物から認識しようとするのがよいでしょう。
そして――
それら具体的な事物を、現実的な感覚に基づいて認識し、それら認識した内容に基づいて無理のない想像や推理を巡らせた結果、自分の身の周りから遠く離れた抽象的な事物をも認識するに至る――
そうした過程が理想です。
……
……
こうした考え方は――
抽象的な事物と向き合うことを生業とする人たちには、大変に重要です。
最も極端な例は――
国家の統治者でしょう。
国家の統治者は、
――国家の安全保障とは、国民の生命や財産を守ることである。
といった抽象的な命題を――
いったんは忘れるのがよいのです。
そして、
――自分や家族・親族、友人・知人らの生命や財産を守るためには、国家の安全保障をいかに図るべきか。
といった具体的な自問に答える――
さもないと――
些細な過誤から、
――国家を守って国民を守らず。
の愚を犯しかねません。