マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

三権分立は「三権独立」とは違う

 ――“超国家共同体”では行政よりも立法や司法が重視をされるであろう。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もちろん――

 根底には、いわゆる、

 ――三権分立

 の発想があります。

 

 ……

 

 ……

 

 この、

 ――三権分立

 という概念は、なかなかに難しいのですね。

 

 ともすれば、

 ――三権独立

 と誤解をされることもあります。

 

 ――分立

 であって、

 ――独立

 ではないのですね。

 

 そもそも、

 ――国家を治める権力(統治権

 というのは、

 ――法を作ったり変えたりする権力(立法権

 と、

 ――法に照らして国民等を裁く権力(司法権

 と、

 ――法に基づいて国家を治める権力(行政権)

 とが混然一体となった権力でした。

 

 というよりも――

 

 ――統治権

 というのは、ほぼ、

 ――行政権

 のことであり――

 その中に、

 ――立法権

 や、

 ――司法権

 が混入をしていた――

 と、いうほうが適切かもしれません。

 

 それら“統治権に混入をしていた異質の権力”に、それぞれ、

 ――立法権

 ――司法権

 と名をつけ――

 それら2つの権力の執行者を統治権の執行者から選り分けているのが、

 ――三権分立

 の発想です。

 

 もともとは同一の執行者が担っていた権力です。

 

 執行者が同一であると統治権の暴走が起きると考えられたことから――

 立法権司法権の執行者が分離をされたのですね。

 

 が―― 

 作られたり変えられたりした法を皆が守るのは、なぜか――

 法に照らして裁かれた結果を皆が受け入れるのは、なぜか――

 

 当たり前のことながら――

 行政権が十分に機能をすることで、皆に法を守らせ、裁きを受け入れさせるからです。

 

 法を守らせる権力の源泉――

 裁きを受け入れさせる権力の源泉――

 それら権力の源泉は、少なくとも具体的な次元では、行政権が握る警察力――端的にいえば「武力」――なのですね。

 

 もし、

 ――三権分立

 が、

 ――三権独立

 であると、どうなるか――

 

 行政権だけが武力を握るのではなく――

 立法権司法権も武力を握ることが必要です。

 

 そうなれば――

 三権が入り乱れての大紛争となりかねません。

 

 よくて、

 ――武装、中立、不干渉――

 といったところです。

 

 ――そんなバカな。

 と一笑に付される懸念かもしれません。

 

 たしかに――

 現代に実在をする国家においては――

 そのような懸念は不要でしょう。

 

 が、

 ――超国家共同体

 においては、

 (そうともいいきれない)

 と僕は思っています。

 

 もし、

 ――超国家共同体

 という組織が実現をみたならば――

 その組織の成否は、

 ――三権分立

 の成否にかかっているといっても過言ではないでしょう。

 

 ――行政権

 だけに武力を預ける様式を貫けるかどうか――

 ――三権独立

 を防げるかどうか――

 です。