マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「世界」が歪む理由

 ――世界

 という言葉がさす領域は――
 それを使う人の人間観や社会観、自然観によって――
 いくらでも広くなるし、いくらでも狭くなります。

 大雑把にいうと――
 人間は社会を構成し、社会は自然に依存しています。

 ここでいう「人間」とは――
 基本的には自分自身のことです――人間にとって、心の内奥を見通せうる人間は、自分自身だけですので――

 その自分自身は――
 端的にいえば、自我と自己とから成ります。

 自分で自分を内省するときに――
 内省の主体が自我であり、内省の客体が自己です。

 ……

 ……

 以上をまとめると――

 自我の周りに自己があり、自己の周りに社会があり、社会の周りに自然がある――
 ということです。

 そういう図式を意識しながら――
 僕らは、「世界」という言葉の意味を捉えるのがよいでしょう。

 人は――
 自我に比べて、いかに自己が巨大であるかを、人文科学で学び――
 確かな人間観を培います。

 また――
 自己に比べて、いかに社会が多様であるかを、社会科学で学び――
 確かな社会観を培います。

 あるいは――
 社会に比べて、いかに自然が広大であるかを、自然科学で学び――
 確かな自然観を培います。

 これら3つの観点のうちのどれかが1つでも軽薄であると――
 その人の「世界」は、

 ――大いに歪む

 といえます。

 自己が欠落している世界――
 社会が欠落している世界――
 自然が欠落している世界――

 どれも、いびつであることは――
 自明といえましょう。