母によると――
9年前に亡くなった父は、長谷川等伯の『松林図屏風』が好きだったそうです。
なので――
実家の父の位牌の近くには『松林図屏風』のプリントが飾られています。
長谷川等伯は織豊期から江戸初期に活躍した絵師で――
『松林図屏風』が代表作とされています。
水墨画です。
白地の屏風に墨色で松林が描かれています。
鬱蒼たる松林に霧が立ちこめている――
そんなふうに、僕にはみえます
父は神経解剖学者でした。
が――
趣味として日本の美術品に深い関心を寄せていました。
ですから――
とくに長谷川等伯の『松林図屏風』を好んだとしても不思議はないのですが――
なぜ父がこの絵を好んだかについては、説明に窮します。
母も理由を知りません。
その理由を敢えて当てずっぽうにいうならば――
『松林図屏風』は完成作品ではなく、もっと大掛かりな作品のための下絵ではなかったか、という説があるそうでして――
そのことと何か関係があるのかもしれません。
未完成の水墨画に自分の人生を重ねたのか――
今となっては、確かめようがありません。
いえ――
仮に父が存命でも――
確かめることは難しかったでしょう。
そんなことを家族に語るような父ではなかったので――
語る心づもりさえ、していなかったと思います。