マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“観念的な肉体美”を侮るな

 ――“観念的な肉体美”は楼閣のようなものだ。

 ということを――
 3日前の『道草日記』で述べましたが――

 “観念的な肉体美”の典型例を1つ挙げよ――
 といわれたら――

 僕は迷わず、

 ――人形の肉体美

 と答えます。

 ……

 ……

 ――人形に肉体美など、ありうるのか。

 と訝る向きも――
 あるかとは思いますが――

 少なくとも、この国で――
 いわゆる男性向けの性具としての等身大人形が数多く販売されている現状を考えれば、

 ――人形にも肉体美はありうる。

 と、いいきってよいでしょう。

 人類の創造意欲や製造技術というのは――
 実に不可思議なものですね。

 よくも、まあ、そんな人形を――
 実際に制作し、量産し、販売するところまで、こぎつけたものです

 その点は、ともかく――

 ……

 ……

 ――“観念的な肉体美”は楼閣のようなものだ。

 と――
 僕がいうのは――

 この肉体美は――
 詳細な分析に基づく緻密な計算があれば、いつでも、どこでも、十分に再現されうることを意味します。

 きのうの『道草日記』で――
 僕は、

 ――“観念的な肉体美”は予言のようなものだ。

 と述べましたが――
 その「予言」は、

 ――理論

 でも、よかったのです。

 自然科学の世界では――
 精緻な理論が、しばしば将来の実験や観測の結果を予言します。

 それと同じような意味での「理論」です。

 ……

 ……

 僕は、

 ――“自然的な肉体美”のほうが、“観念的な肉体美”よりも、はるかに重要である。

 と考えていますが――

 そんな小難しい区別は措いておいて――

 ただ純粋に肉体美を感じとり、それを巧く活かして――
 この世の中を楽しく生きていこうとするならば――

(“観念的な肉体美”も、決して侮(あなど)ってはならない)
 と思っています。