マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その裸婦にレオタードを着せたら

 ――画家が女の人の裸を描くのは、“観念的な肉体美”に関心があるからではなく、“自然的な肉体美”に関心があるからだ。

 という話を――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 もちろん――

 画家にも色々あるはずで――
 なかには“観念的な肉体美”に関心がある画家も絶対にいるはずですが――

 まあ――
 常識論として――

 少なくとも、正統と目される美術では、“観念的な肉体美”ではなく、“自然的な肉体美”を扱うとされているようだ―― 
 ということを――
 指摘したかったのです。

 ……

 ……

 では――

 “観念的な肉体美”と“自然的な肉体美”とで――
 いったい何が違うのか――

 ……

 ……

 誤解を恐れずに――
 明言するならば、

 ――裸婦は“自然的な肉体美”――

 ――その裸婦にレオタードを着せたら“観念的な肉体美”

 です。

 レオタードは、自然物としての裸体に手を加えています。

 体のズレを補正する――
 9日前の『道草日記』で述べた通りです。

 では――

 裸体に手が加わることで――
 何が変わるのか――

 ……

 ……

 ――背徳感

 が備わります。

 きわめて原始的で素朴な背徳感です。

 ありのままの自然物に手を加える後ろめたさ――
 あるいは――
 手が加えられたことを明確に感じとる後ろめたさ――
 などなど――

 いい方は色々あるでしょう。

 ……

 ……

 たぶん――

 ここから先の議論は、たんなる印象論――あるいは、印象論でさえない何か――すこぶる主観的な印象の陳述――です。

 しょせんは、

 ――わかる人にしかわからない。

 という代物です。

 が――

 ……

 ……

 ――裸体に手を加える。

 というのは――
 極論すれば、

 ――人体の人形化

 を意味します。

 人体を物体とみなし――
 それに、同じ人として、手を加える――あたかも、人体を材料にして人形を作り上げる発想で――

 そんな背徳感――

 ……

 ……

 ――それの、どこが背徳なのか。

 と思える人は――
 それでよいのです。

 ――たしかに、それは背徳的だ。

 と思える人が少しでもいれば――
 それでよいと思っております。

 ……

 ……

 以上をまとめますと――
 単純です。

 “自然的な肉体美”と“観念的な肉体美”とで――
 何が違うのか――

 ……

 ……

 “自然的な肉体美”には、背徳感がほとんど伴なわないが――
 “観念的な肉体美”には、背徳感が多少なりとも必ず伴う――

 そういうことです。