マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人体を人形のようにみなすということは

 ――裸体にレオタードを着せることは“人体の人形化”であり、背徳的である。

 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 レオタードは、10日前の『道草日記』で述べたように、自然物としての人体のズレを補正します。

 よって――
 裸体にレオタードを着せることは――
 あえて大げさにいえば――
 人体を材料に人形を作りあげることに通じるのです。

 つまり、

 ――人体の人形化

 です。

 ……

 ……

 では――

 なぜ“人体の人形化”は背徳的なのか――

 ……

 ……

 それは――
 人体を人形のようにみなすということは――
 人体を物体とみなすということであるからです。

 人体は物体ではありません。

 人は物ではありません。

 ヒトは――
 もしかしたら物かもしれませんけれど――

 ……

 ……

 ここでいう、

 ――ヒト

 というのは――
 社会的な存在である人に対し――
 生物種としての存在です。

 とはいえ――

 生物種としてのヒトも――
 ただの物ではありません。

 まだ人知によって完全には解明されていない現象――生命現象――を宿している生き物です。

 その生き物を、ただの物と同一視するところに――
 “人体の人形化”がもたらす背徳感が潜んでいるのでしょう。

 それは――
 生き物であるヒトが原始的に抱く本能――

 あるいは――
 社会的な存在であり、かつ各々が固有の心を持っている存在である人が、原理的に抱く直感――

 といえるかもしれません。