マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“自然的な肉体美”を拒むな

 ――肉体美

 という言葉が好きではありません。

 きのうの『道草日記』で述べた通りです。

 が――
 それでも――

 あえて使います。

 ……

 ……

 ――観念的な肉体美

 は、多分に社会的な概念であり――
 生物種としてのヒトの欲求――生殖欲求――と密接に関連している美しさ――
 すなわち、

 ――自然的な肉体美

 を基盤としている美しさではないか――
 ということを――

 おとといの『道草日記』で述べましたが――

 ……

 ……

 ひょっとすると――

 こういう言い方も、できるような気がします。

 ――「自然的な肉体美」は結果であり、「観念的な肉体美」は予言である。

 ……

 ……

 どういうことか――

 ……

 ……

 人が、ある人の体をみて、それに肉体美を感じてしまったら――
 それは、

 ――自然的な肉体美

 であるとみなせる一方――

 人が、ある条件を満たしている体をみて、それに何らかの美しさを感じたら――
 それは、

 ――観念的な肉体美

 である――

 そういうことです。

 ……

 ……

 当然ことですが――

 “自然的な肉体美”と“観念的な肉体美”とは――
 かなりの部分の重なりをもちます。

 よって――
 ふつう、人は、

 ――片方を「結果」、もう片方を「予言」――

 などといって――
 区分けしたりはしないものですが――

 もし――
 双方を強引に区分けするならば――

 きっと――
 そうなるでしょう。

 このことは何を意味するのか――

 ……

 ……

 もし――
 あなたが、何らかの形で“自然的な肉体美”を見出してしまったら、

 ――その美しさを四の五のいわずに受け入れるしかない。

 ということです。

 たとえ、観念上は、どんなに矛盾に満ちた美しさであっても、

 ――それを拒んでいては仕方がない。

 ということです。

 ……

 ……

 いうならば――

 たとえ、どんなにマズそうにみえる食べ物でも――
 それをひとたび口に入れて、

 ――うまい!

 と感じてしまったら――

 その食べ物の美味しさは――
 認めないわけにはいかない――

 ということです。

 ……

 ……

 目の前にある結果を拒み――
 どこか遠くにある予言に縋(すが)るのは――

 愚かなことです。