僕は――
今年で42歳になりますが――
小さかった頃から、
――パズル
に特段の関心を抱いたことがありません。
パズルの何が面白いのか――
よくわからないで生きてきました。
例えば――
父は、クロスワード・パズルが大好きで――
日曜の朝などに、自宅の居間でクロスワード・パズルを面白そうに解いているのを――
僕は、ただ黙って眺めて不思議に思っていました。
(なにが、そんなに面白いんだろう?)
と――
が――
今、当時の父と同じような年齢になってみて――
(なるほど、そういうことだったか……)
と思い当ることがあります。
それは、
――パズルを解く。
ことの“本当の意味”とでもいいましょうか。
パズルを解く面白さは――
実は、そのパズルを作った人の心に触れる面白さ――その人の心の一端としての知性なり意図なりに触れる面白さ――なのだろうと思います。
パズルの出題は、どれも同じような没個性的なものに感じられますが――
個々のパズルに真剣に取り組んでみると――
意外に個性的であったりするのが、よく伝わってきます。
つまり――
“パズルを解く”という営みは、一見、無味乾燥で非人間的に思えるのですが――
そのパズルの出題の背後には、なまなましい人間がいる――高度な知性を備え、明確な意図を抱いた人間が――
そうした視点でみてみると――
“パズルを解く”という営みは、案外、人間味あふれる情緒的な営みといっても、よいのかもしれません。