高校時代――
僕は、いわゆる理系に進むことを選んだ。
今にして思えば、無謀な選択だったといえる。
中学生の頃は――
理科よりも社会のほうが得意であったし――
好きでもあった。
高校生になってからも、その傾向は相変わらずで――
しかも、それまでは好きだった数学が突然、嫌いになり――
だから――
本来なら、僕は文系に進むべきであった。
そうはしなかったのは――
おそらくは――
自分の父親が医学部の教授職にあったからである。
医学部というのは、実態はともかく、世間的には一応、理系の学部ということになっている――
少なくとも、この国では――
それで――
理系に進むといえば、父も母も、何となく喜んでいるように感じられたのだった。
所詮は幼心の決断である。
僕が理系に進むと決めたのは――
中学1年か2年のときであった。
世の中のことは、ほんの断片すら、まだ、わかってはいなかった。
その決断は、短期的には間違っていたが――
中・長期的には、間違っていなかった。
日本の高校では、自分の頭で考えるというトレーニングは、文系よりも理系のほうが、接しやすい。
高校の数学や物理を履修する過程で――
僕は、「自分の頭で考える」とは、どういうことかを――
イヤというほどに、考えさせられることになる。
この過程で培った思考力は、僕にとっては値千金であった。
そのお陰で、理科が、ますます嫌いになったが――
それは、理科の限界が、よくわかってきたからでもあり――
僕にとっては、決して後ろ向きの結論ではなかった。
要するに――
高校時代、理系に進み、理系の勉強を始めたことが――
今の僕に理系嫌いを公言させているのである。
もし、文系に進み、安易に文系の勉強を始めていたら――
理科に苦手意識をもつことはあっても、理科を積極的に嫌うことはなかったであろう。
僕の無謀な選択は、実に有意義な結果に終わったのである。
僕は、過去に、幾つかの僥倖にあっているが――
この無謀な選択は、そのうちの最大のものだといってよい。