マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

清純派女優への、男の思いやり

 一般に――
 男が、

 ――清純派女優の裏情事

 というコンセプトに、どのようなスタンスをとるかは――
 興味深い。

 それによって、男の精神的老成度が推し量れそうだからである。

 少年は、かかるコンセプトを、心底、嫌う。

 ――うへ、やだ~!

 と嫌悪する。
 生理的に受け付けない。

 少年としては、真っ当な反応だ。

 少年は、清純派女優に夢を追う。
 夢は眩しく輝いていなければならない。

 が、実際には――
 清純派女優がスクリーンでみせる振る舞いは――
 所詮、作り事である。

 その欺瞞を受け入れ――
 それでも、恋をし、愛を抱けるか否かで――
 その男の成熟度をみてとれる。

 そのような恋や愛の対象は――
 少年の未熟な人間観では、手に負えない。

 少年は、女の欺瞞に敏感である。

 そんな少年も、次第に歳をとる。

 歳をとり――
 世を知り、人を知り、女を知る。

 そして――
 どんなに清純な女優でも、本当は、ただのヒトにすぎない、ということに――
 やがて、気がつく。

 そして、さらには――
 どんなに普通の女でも、実は女優でないこともない、ということに――
 いつかは、気がつく。

 世に女優のアマチュアは、たくさんいる――
 何しろ、すべての女が女優たりうるのだ。

 清純派女優がスクリーンでみせる作り事の価値は――
 あくまでも、その完成度によってのみ、測られる。

 それが作り事であるという事実によっては――
 少しも価値が削(そ)がれることはない。

 スクリーンの裏で――
 たとえ、どんなに、下品にタバコを吹かしていても――
 たとえ、どんなに、だらしなく男に凭(もた)れていても――

 そうした情事は金輪際みなかったことにしてやるのが――
 男の思いやり、というものである。