マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

携帯電話を解約しても

 携帯電話を解約しても、電話器は手元に残しておく人が、増えているそうである。
 電話器の多機能化が進み、手帳や目覚まし時計代わりに便利だから、というのが理由らしいが、
(それだけじゃないだろう)
 と思う。

 よく考えると――
 携帯電話ほど、毎日、長時間、欠かさずに携帯しているものは、ないのではないか。

 例えば、洋服の類いを毎日、着続けることはない。
 カバンの類いは毎日かもしれないが、毎日、長時間、持ち続けるようなことはない――せいぜい移動の間だけである。

 毎日、長時間、欠かさずに携帯していれば、次第に情が移るのは自然なことだ。
 体の一部のような感覚になる。

 その感覚は、携帯電話を解約する段になっても、容易に払拭できるものではない。
 電話器を手放すことは、大げさにいえば、体の一部を切り取って手渡すに等しい。

 こういう感覚は、携帯電話に限らない。
 例えば、腕時計がそうである。

     *

 高校に入学したときに、両親に腕時計を買ってもらった。
 アナログ式で、割と高級そうにみえ、僕は、それをいたく気に入っていった。

 体育祭の日に、夕方になって、ジャージのポケットに入っていないことに気づき、校庭中を探しまわった。
 グラウンドの真ん中で拾った。

 大学に入って間もなく、間違って洗濯機で洗ってしまった。
 直してくれそうな時計店を探し出し、持っていった。
 結構、時間をかけて直してもらった。

 それから半年くらい経ったある日――
 突然、見当たらなくなった。

 どこかで落としたようなのだが――
 どこで落としたのか、皆目、見当がつかない。

 そして――
 結局、そのままである。

 ずいぶん落ち込んだ。

     *

 携帯電話を解約し、電話器を手放すということは――
 あのときの落ち込みを、自ら進んで受け入れるようなものであろう。

 少なくとも僕にとっては、そうである。

 だから、僕も電話器は手元に残しておく。