マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人格者には狂気が必要

 いわゆる人格者の人柄には、何らかの狂気が混じっていないとダメである。
 魅力的にはならないと思う。

 例えば、ふだんは清廉潔白、温厚篤実な人柄でも――
 ある種の嗜好品だけには目の色を変えるとか――

 静謐な秩序は、ときに無惨に乱されることによって、輝きを増す。

 一般に、人格者と呼ばれるような人々は、たいてい四方八方に隙がないものだが――
 本当に、どの方向にも隙がないような人は、ただの小心者である。

 真の人格者は、心の隔壁を、必ず一方向だけは開け放っているものだ。
 周囲の他者は、その開け放たれたところから、中に入っていく。

 四方八方に隙がないのに、一方向だけには故意に隙を作っている、ということは――
 つまり、狂気といってよい。

 そこに故意に隙を作ることで、他方向への隙のなさが全くの無意味となるのだから――
 狂気といえる。

 狂気とは、計算では弾き出されない非合理の振る舞いだ。
 人間なら、誰しもがもっている――

 それが、心の防護陣に巧くハマって作用している人が――
 魅力的な人格者とみなされる。

 狂気は、それ自体、計算の外である。
 当人の意識では、どうしようもない。

 人格者になれるかどうかは、運が全てといってよい。