いわゆる人格者の人柄には、何らかの狂気が混じっていないとダメである。
魅力的にはならないと思う。
例えば、ふだんは清廉潔白、温厚篤実な人柄でも――
ある種の嗜好品だけには目の色を変えるとか――
静謐な秩序は、ときに無惨に乱されることによって、輝きを増す。
一般に、人格者と呼ばれるような人々は、たいてい四方八方に隙がないものだが――
本当に、どの方向にも隙がないような人は、ただの小心者である。
真の人格者は、心の隔壁を、必ず一方向だけは開け放っているものだ。
周囲の他者は、その開け放たれたところから、中に入っていく。
四方八方に隙がないのに、一方向だけには故意に隙を作っている、ということは――
つまり、狂気といってよい。
そこに故意に隙を作ることで、他方向への隙のなさが全くの無意味となるのだから――
狂気といえる。
狂気とは、計算では弾き出されない非合理の振る舞いだ。
人間なら、誰しもがもっている――
それが、心の防護陣に巧くハマって作用している人が――
魅力的な人格者とみなされる。
狂気は、それ自体、計算の外である。
当人の意識では、どうしようもない。
人格者になれるかどうかは、運が全てといってよい。