人は――
たとえ、どんなに真面目に生きていたとしても、一度くらいは、
――自分の人生なんて下らない。
などと思ってしまうものではないか。
これは――
もう――
原理的に仕方のないことである。
「人生」というと、何だか凄く高尚な概念のように思えるわけだが――
落ち着いて考えてみると――
そもそも、人生に何か高尚な意義を求めることは、無理を伴う。
人生とは、ヒトという生物種の生の営みだ。
もちろん、生の営みは、自然科学的にみれば、十分に高尚なのだが――
社会的価値観に照らしてみれば、大した意義は見出せない。
自然界に生息する全生物種に共通の「社会的価値」しか見出せない。
それは、例えば、ゾウリムシの生の営みにも共通する何か、である。
だから――
人が、自分の人生を、社会的価値観で判断しているとき――
本来は社会的価値観に馴染まぬことを、社会的価値観で判断しているといってよい。
さながら――
恋愛を経済的価値観で判断しているようなものである。
当然、
――下らない。
ということになる。
が、そうはいっても――
人は社会的な存在である。
人が、自分の営みを、思いあまった末に、つい社会的価値観で判断してしまうのは、仕方のないことだ。
日頃、経済動向ばかりを気にしているアナリストが、自分の恋愛を、思いあまった末に、つい経済的価値観で判断してしまったとしても、嘲弄するのは得策ではない。
人は、自分の価値観を、そう簡単には切り換えられない。
*
僕は、日常生活に疲れたときには、自分の人生をゾウリムシの生の営みに重ねてみよう、と努力している。
簡単なことではない。
僕は、想像力には自信があるが――
それでも、
(ゾウリムシになったら、どんなだろう?)
と想像するのは難しい。
が、ゾウリムシも自分も同じだと心から思えるときには、自然と気持ちが楽になる。
人間関係に行き詰まったときでも、
(まあ、大したことじゃないか)
などと思えてくる。