マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

餓鬼に我が身を差し出す菩薩の話

 ある男女がいて――

 男は作家であり――
 女に一目惚れをし、結婚を申し込んだ。

 女は、男を何とも思っていなかった。
 が、とくにイヤなわけでもなかったので、
(まあ、この人でもいいか)
 と思い、結婚に同意した。

 その後――
 夫は、自分たちをモデルに、恋愛小説を書いた。
 妻をモデルにした女に、自分をモデルにした男が一目惚れされる、という物語である。

 妻は、自分たちがモデルであることを承知している。
 が、夫と同様、現実と虚構とを区別することに長けているので、特に異は唱えなかったとしよう。

 さて、この夫婦の間に、何が起こったのか。

     *

 仮定の話である。
 現実に見聞きした話ではない。

 現実には、ありえまい。

 もし、こんな夫の作家が現実にいたとしたら――
 相当に鈍感で不注意な人物である。

 それでも――
 僕は、この仮定の問題を興味深く感じる。

 ポイントは――
 なぜ、妻は夫の改竄(かいざん)を赦(ゆる)したのか、である。

 さて、皆さんは、いかがお考えか。

     *

 僕は、まず――
 夫は、この小説を、離婚覚悟で書いた――
 と解釈したい。

 そして――
 妻は、その覚悟を敏感に感じ取った――
 だから、夫を赦した、と――

 夫にとって、自分に惚れ込む妻という存在は、狂おしく求めざるをえぬ非現実の極みだ。
 それを、敢えて小説に具現化させたところに、鬼気せまる覚悟が感じ取れる。

 下手をすれば、全てを失いかねぬのだ。

 ――そんなに私が欲しいのか。

 と問う妻に、

 ――欲しい。

 と告げざるをえぬ夫――

 ――なら、身も心もくれてやる。

 妻の許容は、菩薩の域に達した。

 さながら――
 餓鬼に我が身を差し出すが如きである。

 こういう妻は、幻想小説の主人公になりうる。
 もちろん、大人向けの幻想小説である。