タクシーに乗って、運転手さんと、なんということはない話をしていたら――
ずいぶん晴れやかな気分になった。
「話」というのは、中身のある話ではない。
ただのお喋りである。
だいたい――
その運転手さんとは初対面であったし――
今後も対面する可能性は、ほとんどないであろう。
仙台の街には何千台――ひょっとしたら何万台――というタクシーが営業している。
今日の運転手さんは、そうした無数の運転手さんたちの中の一人である。
そういうタクシーの運転手さんと、中身の濃い話ができるわけがない。
乗り込んで行き先を告げると、ほどなく――
細かな道順の確認を求められた。
こちらの地区は不慣れなのかと訊ねると――
タクシー業は2年目で、まだ小路の一本一本までは覚えていない、という。
5年前まで東京でサラリーマンをしていた。
定年で仙台に帰郷し、しばらくしてタクシー業を始めたそうである。
そういうお喋りをした。
その声のトーンが若かったので、「定年」という言葉に驚いた。
それで、慌てて横顔を覗きみると――
たしかに還暦は過ぎていそうである。
ところで――
なぜ僕は晴れやかな気分になったのか。
それは、その運転手さんの口調が格段に上品であったからである。
いわゆる営業マンのトークとも違う。
さながら――
洒落たカフェのマスターのような口調である。
お喋りは、決して中身ではないのだ。
中身のないお喋りであっても、深く印象に残ることはある。
お喋りでは、口調が大切らしい。
例えば、もてなしの気持ちなどは、まず口調に滲(にじ)み出る。
今日の運転手さんは、そのことをよく知っていたのかもしれない。