マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

わからないものを

 自宅の近所にスーパーマーケットがある。
 コンビニエンス・ストアの10倍はあろうかという面積の売り場に、膨大な数の商品が所狭しと並べられている。

 このスーパーは24時間営業だ。
 夜中にいっても、広大な売場に無数の商品が溢れている。

 近所なので――
 時々、夜中に買い物をする。

 とても便利だ。
 たいていの生活必需品なら手に入る。
 コンビニでは売っていないようなものも、手に入る。

 だから、安心でもある。

 が――
 同時に恐ろしい。

 夜中でさえ、広大な売場に無数の商品が溢れている――
 そんな光景に慣れている自分が恐ろしい。

 このような環境は、人類史上、ほとんどの者が経験をしていないはずだ。
 ひょっとすると、昔日の帝王たちよりも贅沢な環境かもしれない。

 結構なことである。

 昔日の帝王たちのように、ごく限られた者たちにのみ許された環境ではなくて――
 誰にでも許された環境であるという点は、まさに文明の勝利といってよい。

 が――
 昔日の帝王たちの豪奢な生活が庶民たちからの搾取によって成り立っていたように――
 商品で溢れかえった24時間スーパーが、他の何者かからの搾取によっていることは、ほぼ確実といえる。

 おそらくは――
 外国の人々、他の生物種、あるいは地球上の生命圏それ自体からの搾取であるに違いない。

 昔日の帝王たちは自分自身の搾取の実態に無頓着であった。
 搾取され、困窮に追い込まれる立場を、理解し難かった。

 僕らも、そのうちに理解し難くなる。
 いや、もう遅い。

 すでに理解し難くなっている。

 では、どうすればよいのか。

 昔日の帝王たちの中には――
 たしかに、どうしようもない暗君も多かったが――
 逆に、優れた治政を施した明君も多かった。

 僕らが明君から学べることは多かろう。
 彼らは、自らを強く律し、あるいは、自由に思いを巡らせ、自分たちには知りようのない搾取の実態を推し量ろうとした。
 搾取される側の実情を考えようとした。

 もちろん――
 結果的に、彼らが搾取される側の実情を十分に理解したとは思えない。

 彼らも人間であった。
 限界はあったろう。

 が、搾取される側の実情を考えようとした態度が、彼らを明君の座に押し上げた。

 ――どうせ、わからない。

 といって、安易にサジを投げるのだけは避けるべきであろう。

 わからないものをわかろうとする態度が、肝要なのである。