仙台・光のページェントの会場となっている定禅寺通りは――
自宅から歩いて5分ほどのところを通っている。
光のページェントというのは、ケヤキ並木に電飾を施すイベントで――
仙台市の冬の風物詩として、20年ほど前より売り出されてきた。
若いカップルで賑わうことで有名だが――
年輩の夫婦や幼子を含む家族連れや女性の友人同士の姿が目立つ。
で――
今夜、行きつけの喫茶店からの帰りに、光のページェントの通りを、一人で歩いてきたのだが――
これだけ自宅の近くだと、一人で歩くことが、もはや何でもないことに感じられるから困ってしまう。
もう少し多感な頃であれば――
ロマンチックに盛り上がる電飾の祭典を横目に、一人、自宅に向かう状況というのは――
それなりの憂鬱を誘うものであるはずだが――
その電飾の祭典に、すっかり慣れてしまっている身なので――
とくに今さら何とも思わない。
――かなり派手に飾り付けられた街灯の大群
ぐらいに思い込むことも、不可能ではない。
(こんなんじゃいけないな)
と思ったのは――
今日、見ず知らずの若い女性の言葉を――
何気なく耳にしたときであった。
――本当にキレイだな~。
と、呟きながら――
その女性は、同性の友人たちと一緒に、光輝く通りを背に歩きつつ――
途中、何度か振り返っては、カメラのシャッターを切っていた。
この光景を当たり前のものと思い込み、
――かなり派手に飾り付けられた街灯の大群
などと貶めていた自分を――
海より深く省みた。
それが当たり前となっている日常に――
ただひたすらに感謝するのがよいと思う。