昼間、自宅の近くで、車道沿いの歩道を歩いていたら――
突然、バックしてくる車に進路を塞がれた。
(なんだ、なんだ――)
と思って立ち往生していると――
車の運転手と目があった。
20代くらいの女性であった。
すぐに目をそらし――
そのまま、歩道の真ん中で突っ立っていた。
銀行の目の前であった。
たぶん、駐車場に入ろうとしているところであった。
歩道では、いかなる場合であっても、歩行者が優先である。
だから、本来、その車は停止し、僕が歩き去るのを待つべきだった。
が、僕が素知らぬ風に突っ立ってみせることで、
――お先に、どうぞ――
とメッセージを発したことになった。
運転手の女性は、軽く会釈し、再び車をバックさせた。
僕は、あいも変わらず、素知らぬ風に突っ立っていた。
別にイジワルをしていたわけではない。
こういうときは、素知らぬ風を装っているのがベストなのだと、専門家はいう。
もし、愛想よく頷いてみせたり、片手をあげてみたりしたら――
運転手の気が散って、ちょっとした事故につながりかねない――
というのが、その理由らしい。
今回の場合、僕は歩行者であったので、それほどの危険性はなかったと思うが――
もし、僕も運転をしていて、交差点の真ん中などで立ち往生したのであれば、そうもいっていられなかった。
交通状況が目まぐるしく変化する交差点の真ん中で――
他者とのコミュニケーションに注意を払うあまり、突発的に事故を引き起こす可能性は――
そう低いものではないという。
いわゆる「サンキュー事故」は、そうしたコミュニケーションの死角が突かれ、引き起こされる。
――譲っていただき、ありがとうございます。せっかくの御好意ですので、先を急がせていただきます!
といって、
――ガチャン
では、目も当てられない。
譲るほうは素知らぬ風を装い――
譲られたほうは半信半疑でいつづける――
そのほうが、お互いに注意深く運転できるのだという。
素知らぬ風を装うことが他者への配慮につながるというのは――
どうにも複雑なメカニズムである。
僕は、いまひとつ車社会になじめぬのだが――
こうしたメカニズムも一因だ。
正直にいえば――
今日、歩道でバックしてくる車に会釈を返さなかったのは――
単に面倒だったということもある。
コミュニケーションを面倒に思う人間が理にかなった行動をすることになるというのは――
車社会の暗部といえぬこともない。