英文を読んでいると、つくづく思うようになりました。
(英文なんて、わかるかよ!)
と――
もちろん、一応、学生時代に英語の勉強はしましたし――
今も仕事で英文の論文を読むことはありますから――
とりあえず辞書があれば、たいていの英文の大意は掴めるつもりですが――
でも、そういうことじゃないのですよね。
英語であろうと他の言語であろうと、その言語の文章を読みこなせるということは、書き損じや文法違反に隠されたメッセージさえも正確に見切ってこそ、です。
したがって、
――辞書さえあれば――
とかいっているようでは、とうてい読みこなせているとはいえないわけですね。
もちろん、以上は日本人が英文を読むときだけにいえることではなくて――
例えば、アメリカ人が和文を読むときにもいえることですよ。
川端康成や三島由紀夫の文章がわかるだけではダメでして――
例えば、小・中学生が書き損じた作文の類いの文章だってわかるようでないと、和文を読みこなせているとはいえないわけです。
それって、絶望的なことだと思いません?(笑
少なくとも僕には無理ですね。
仮に、以後、アメリカで10年ほど暮らすことになったとしても、英文を読みこなせるところまでいく気は、まったくしませんよ。
和文で育ち、和文で考え、和文で表し、30年です。
今さら鞍替えなんて、ありえないですよ。
30年間、ずっとゴハン食できていたのに――
ある日、突然、パン食に変えられますかって――(笑