『覆面作家企画3“冬”』Aブロック(後半)の感想です。
覆面作家企画3“冬”
http://fukumennkikaku.web.fc2.com/3/index2.htm
覆面作家企画については、2008年2月1日の『道草日記』を御覧下さい。
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A7 あいつが残していったもの
演劇に昇華させるのにピッタリの作品だと感じました。この展開だと、大掛かりな仕掛けや派手な大立ち回りは要りませんから、俳優さんの心情表現を存分に引き出せる気がします。
作者さまは、この作品を、全体像が見える前に書き始められたのではないでしょうか。
わるい意味でいっているのではありません。そういう試行も可能なのが小説の強みだと、僕は考えています。
他のメディアで開花しうる物語の種を生み出すことは、小説書きの重要な役割だと思うのです。
A8 二番目の男
いやあ、この「男」にはイライラさせられましたよ(笑
いつも他人と比べるから、そうなってしまうのに――どうしても他人と比べたいなら、絶対的強者になるしかないのに――でも、そんなことは絶対的にムリなのですがね(笑
絶対的強者を目指して、例えば、学歴などにこだわる人は珍しくありませんが、仮に優れた学歴を積み上げても、「他人と比べたい」という欲求から自由になれないうちは、劣等感に苛まれ続けると思うのですよ。
もちろん、現実には、ここまで情けない男はいないでしょう。虚構の人物として故意に単純化されているのだと思います。そこがよいのです。
この作品には虚構の力が備わっていると感じました。読者をイライラさせるということは、それだけ読者を作品の世界に没入させるということです。虚構の中に真実が潜んでいるのでしょう。
A9 ネイヴァー・ドール
暗く熱い思いが迸(ほとばし)っていますね。
その思いは、基本的には、「ぼく」の歪んだ世界観や人間観に根差しているようですが――そうした世界観や人間観には、作者さま御自身の思いが、若干、込められているように感じます。
作者さまは、虚構の中でしか表せない感情や思考などを重くみておられるようです。
A10 空を見あげて
A10 に配置されたのは不運でしたね。
といいますのは、覆面作家企画では、多くの人が掲載順の通りに読んでいるでしょうから、この作品を読む前に、すでに A05『心残り』を読んでしまっているわけで、
(あ、またか)
と思ってしまった読者も、たぶん少なくなかったに違いありません。
僕もそうでした。
仕方のないことですね。人が現世との別離を受け入れる瞬間の心理は、普遍的な関心事ですので――
読みやすい文章でした。
描写がシンプルで、展開もオーソドックスで、とくに奇を衒ったところはないのですが、個々の場面の情景がスムーズに浮かんでくるので、気持ちよく読み進められます。
A11 リワインドの神は虚しき骸にして愚かなる人間。
何といっても結着の付け方が秀逸です。
(なるほど!)
と感服いたしました。
――何度目覚めても、オレの胸に突き刺さった包丁は変わらない。目覚める前に刺さってしまったのだから――
に集約されるドンデン返しの描写は、一種の叙述トリックといってもよいでしょう。叙述トリックというには、あまりにもフェアで、爽快ですが――
ところで、読み返しているときに、ふと思ったのですが――この作品は、実は非常に奥ゆかしい夢オチの物語ではないでしょうか。
「オレ」は、実は小学生のときにダンプカーに轢かれて死にかけていて、その死にかけの数分の間に、とんでもなく長い夢を延々とみているだけではないか、と――ゲームのようにセーブデータをロードし直せる人生の夢を――
もちろん、そんな暗示は、作中のどこにも見当たらないので、穿ちすぎた見方だとは思いますが――
でも、社長令嬢と婚約して会社を乗っ取る人生って、ませた小学生が考えそうな夢物語ですよね(笑
A12 そらうみそら
「そら」から「うみ」へ――「うみ」から「そら」へ――まるで数学の対称性を思わせるような構成になっています。
にもかかわらず、前半と後半とで、物語の様相がガラリと変えられている――大胆ですね。
数学のウケウリではない――文芸ならではの対称性といってよいでしょう。
A13 我が家の我が輩
サキチのふてぶてしさが、たまらなく魅力的です。
おデブな化け猫さんに、
――虎がしゃべれるわけないだろう。
などと、いけしゃあしゃあといわしめるセンスが好きです。作者さまの確かなキャラクター造形能力を示すものでしょう。
サキチと「俺」との掛け合いが軽妙洒脱ですよね。シニカルでコミカルな情景が目に浮かびます。
シニカルとコミカルとが共存するって、スゴいことですよね。