マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

書き残さない

 今日は色々な人と会ったり話をしたりしたのですが――
 そういったことの詳細は、ここでは触れません。

 触れたくないのです。
 たぶん、剥き出しの自分が出るだろうと思うからです。

 その日にあったことを、その日のうちに日記に書くことの危険さは、もっと認識されてもよいと思います。
 とくに、日記をネット上などで公開している場合は、なおさらです。

 僕は、その日に自分の身に起こったことの多くは、なかったことにしたほうがよいと考えています。

 人間の生活は、無為なことの連続です。
 少なくとも僕はそうです。

 そんな生活を事細かに記録する意義があるとは、ちょっと思えません。
 自分の存在に何か公的な価値があると思えるか、あるいは、そう思い込むかすることによってのみ、辛うじて意義を指摘できるでしょう。

 自分の存在に何か公的な価値があると思い込むことは、たぶんナルシズムでしょうから、慎んだほうがよいでしょう。
 実際に公的な価値があると思ってもおかしくない例として、公的な重職に就いている場合などが挙げられます。

 重職というのは、本当の重職ですよ。
 後世の歴史家が無視できないような重職です――例えば、国策に与る政治家とか――
 そういう人たちは、日々の無為を書き残しておく価値がある――

 が――
 市井の民に、その価値があるとは思えません。

 もちろん、自分が書き残したいのなら、それでよいのですよ。
 それは、少なくとも、その人個人にとっては、意義のあることでしょう。

 僕は、書き残したいとは思いませんね。
 あとでみて、ただ不快に感じるだけ――というのが、関の山だろうと思うのです。