僕は、
――恋か、愛か?
と問われれば、迷うことなく愛を選ぶのですが――
愛を妄信する怖さは気になっています。
恋は体の反応で、愛は心の反応です。
「体の反応」というのは、脳を含めた体全体に起こる生物的な応答であり、それを上手く制御するために、心が人文的に応答します。
愛の危うさとは、つまり、心の危うさのことです。
心は、簡単なことで騙される――
体は容易に騙されませんが、心は違う――
例えば、少女Aがいて、少年Bに恋をしているとしましょう。
恋は体の反応ですから、少女Bが騙されていることなどありえません。
実は少年Bに恋などしていないのに、実は恋をしていると思い込んでいるという可能性は、まあ、ゼロといってよいでしょう。
ここで、少女Aは、自分の恋を何とか成就させようと、少年Bの親友である少年Cを頼るとします。
――Bくんと付き合いたいんだけど、仲を取り持ってくれない?
と――
頼まれるままに少年Cは少年Bに少女Aの思いを伝えます。
ここで、少年Bはビックリしたとしましょう。
少女Aを恋の対象とは全くみていなかったということです。
少年Bは考えます。
――Aちゃんが僕に恋をしているのはわかった。でも、そのことをCに伝え、CはAちゃんの期待に忠実に応えたということは、実は、AちゃんはCのことを深く信頼しており、かつCはAちゃんのことを決して悪くは思っていない。むしろ、Cちゃんに気があったのかもしれない。
そこで、少年Bは少女Aに対し、暗に「No」の返事を送り、自分とではなく少年Cと恋仲になるように仕向けます。
それこそが、少女Aへの自分なりの愛だと信じて疑わずに――
さて――
少女Aは少年Bの愛を感じるでしょうか?
……
……
おそらくは感じないでしょう(笑
――私、Bくんにフられちゃった……。
としか思えないはずです。
このとき、少年Bは愛に騙されたといえます。
自分の決断が少女Aへの愛であると信じ込んだのです。
このように――
恋が人を騙すことは、ほぼありえませんが――
愛が人を騙すことは、意外に頻繁です。
愛は、心が能動的に仕組む理屈ですから――
それだけ、狂いやすいといえます。
これが愛の危うさです。
*
ところで――
少年Bが少女Aの恋に愛で以て応えるには、どうしたらよいでしょうか。
僕の考えでは――
少女Aの恋を黙って受け入れればよいでしょう。
少女Aにとっては、自分よりも明らかに少年Cのほうが少女Aに近い存在であり、しかも2人はそれなりに堅い信頼関係で結ばれていたのを見せつけられつつも――
少年Cへの恨み節などは寸分ももらさず、黙って少女Aの恋を受け入れる――
そして、終生、少女Aの恋と愛とを受け入れ続ける――
それが――
この場合での愛ですね。
まあ、ムリでしょう(笑