マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

愛と恋との違いを知るには

 男というものは、遅くも30歳を迎える頃には、

 ――愛と恋の違いがわかる男になるぜ!

 みたいな目標を立てるものなのですが――

 僕も立てたような気が……(笑
 ただし、僕の場合は、少し早かったのですがね。

 早かった理由は、たぶん小説を書いていたからです。
 小説を書いていると、いつかは、この問題に突き当たるのですよ。

 さて――
 愛と恋との違いを知るには、どうしたらよいか。

 簡単です。
 愛を知ればいい――

 というのは、恋は子供でも知っているのですね。

 ――初恋は幼稚園のときだった。

 なんてザラじゃないですか。
 どんなに未熟であっても、恋の何たるかは、少なくとも無意識的には、知っている――

 では、愛を知るのはいつでしょうか。

 議論の的を拡散させないために、以下、男の場合に限って話を進めましょう。

     *

 ――男が愛を知るのはいつか。

 というのは、なかなかに微妙な問題だと思っています。

 早い者では10代後半でしょう。
 が、多くの男は、もっと遅いように思います。

 例えば――
 いわゆる彼女との性関係を満喫している頃には、ほとんどわかっておらず――
 結婚をし、子供が生まれ、その子供に抱く感情に触発されて、初めて愛を知るというケースがあるようです。

 なかには、死ぬまで愛がわからない男もいるようですよ。
 あるいは、定年を迎え、職場を去って、還暦を迎えた頃に、妻から不意に離婚を切り出され、その時に初めて愛を知るとか――

 そのときに、男の口から出てくる言葉は、

 ――もう一度やり直したい。

 なのですね。
 でも、時すでに遅し――たいていの場合は――

 こうした悲劇(もしかしたら喜劇)は、愛と恋との区別に気づかないがゆえに、起こるのでしょう。
 子供の頃に知った恋が愛だと思い込んでしまう――

 だから、男は、ときに浅はかにも、

 ――もうお前を愛せない。

 などといってしまう――
 実際には、

 ――もうお前とは恋をできない。

 であるはずなのに――

 恋は仕方ないのです。
 恋は、おそらくは脳を含めた体の反応ですから、これを制御できないのはやむをえない――いっぱい食べれば食欲が満たされるのと同じ意味で、やむをえない――

 が、愛は違います。
 愛は、第一に、意志の働きです。
 心の反応です。

 よって、愛は自然には終わらない――本人が故意に放り出したときに、愛は終わるのです。

 ということは――
 もし、どうしても「お前を愛せない」というのであれば、

 ――お前を愛したくない。

 というのがフェアなのです。

 もっとも、そんな言葉は愛を知っていれば、なかなか出てくるものではないと思いますが――

 あ、そうでもないかな。

 どんなに愛を熟知する男でも――
 妻の女性に、長年にわたって酷いことをされ続ければ、愛を放り出すでしょうから――

 話がそれました。

 少し整理しましょう。

     *

 男が愛を知るのは、早くて10代後半――
 なかには死ぬまでわからない男もいます。

 では、愛を知る・知らないの境界は何か。
 何が男に愛を知らしめるのか。

 それは失恋だと、僕は考えています。

 元来、愛と恋とは紛らわしいものです。
 多くの男が、愛を恋とを混同するのもムリはない――

 が、失恋というのは、恋が失われている時ですから――
 もっとも愛がみえやすいのですね。

 僕は、男が愛を知るには、失恋の経験が必須と思います。
 失恋の経験というのは、自分が失恋をすることもそうですが、女性に失恋をさせることもそうです。

 もしかしたら、失恋をさせるほうが、失恋をするよりも、端的に愛を学べるかもしれません。

 だって、自分が失恋をするときというのは、最初は恋をしているけれども――
 相手に失恋をさせるときというのは、最初から最後まで、恋をしていない――
 その分、愛がみえやすいのは、当然ですね。