マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

世の中に「アンパン」というものが存在するから

 ――恋とは、特定の異性(時に同性)を強く愛することである。

 といった説明を――
 ときどき目にすることがあります。

「恋」と「愛」とが混同されている説明の典型です。

 これと似たような説明に、

 ――恋とは、特定の異性(時に同性)に強い愛情を抱くことである。

 というものもあります。

 こちらは、「愛情」を、

 ――愛せずにはいられない感情

 と解釈すれば、矛盾は生じません。
「愛せずにはいられない感情」とは、多くの場合、「恋」のことですので――

 愛とは意識的で理知的な意志であり――
 恋とは無意識的で情動的な反応です。

 両者は、本来――
 例えば、アンコとパンとが明確に区別されるように――
 明確に区別されえます。

 ところが――
 世の中に「アンパン」というものが存在するから――
 事態は厄介なのです。

 ――ある日、パンを食べていたら、そのうちアンコの味がしてきたのだ。だから、パンとアンコは区別できないのだ。区別するなどバカげている。

 という主張をたまにみかけます。

(たしかに、アンパンの存在を知らず、それと自覚することなくアンパンを食べていれば、アンコとパンを混同するのも無理はない)
 と思います。

 ここでいう「アンパン」とは何か――

 それは、

 ――恋と愛とが混然一体となってしまった心理

 です。

 あるいは、

 ――「恋」という反応に深く根ざした「愛」という意志

 あるいは、

 ――「愛」という意志で包み込んだ「恋」という反応

 です。

 恋と愛との違いを理解しようと思ったら――
 すなわち――

 ――恋とは何か?

 ――愛とは何か?

 を真剣に自問したくなったなら――
 まずは、「アンパン」の存在を認識し、その構造を適切に把握することでしょう。

 世の中に「アンパン」というものが存在することを知らないままでアンコやパンのことを理解しようと思っても――
 それは無茶というものです。

 まあ、何となくなら、理解できるのですが――

 その「何となく」の理解が――
 恋や愛にまつわる誤解を数多く産んでいるように、僕には思えます。