マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

『花木蘭伝説』に隠された構造

 ――“恋の歌”なら、ほぼ間違いなく、“失恋の歌”である。

 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 理由は――
 “失恋の歌”であれば、歌の主人公と歌の聴き手との間に一対一構造が作り出されやすいからです。

 なぜ――
 こんなことを述べたのか――

 ……

 ……

 実は――
 6月6日の『道草日記』で取り上げた、

 ――花(か)木蘭(もくらん)伝説

 を思い出したからでした。

 ……

 ……

 『花木蘭伝説』とは――
 古代ないし中世の中国で――
 うら若き娘・花木蘭が、年老いた父親に代わって徴兵の命を受け――
 従軍を決意し――
 男装の上で郷里を出て、国境へ赴き、対外戦争に参加――
 男顔負けの活躍で、味方を勝利へと導き――
 無事に郷里へ戻って、いつまでも親孝行を尽くした――
 という伝説です。

 伝説には数多くのバリエーションが存在しますが――
 あらすじは、上記の通り、ほぼ共通です。

 この『花木蘭伝説』が――
 後世の中国人は、もちろんのこと――
 地域や時代の垣根を越えて、世界中の人々の心を動かしうる物語となったことは――
 この伝説が、今日、映画やTVドラマの素材となって世界中に発信されていることからも――
 明らかといえるでしょう。

 なぜ、『花木蘭伝説』は、ここまで普遍的に受け入れられたのか――

 ……

 ……

 僕は――
 この伝説には“失恋の歌”に類似した一対一構造が隠されているからではないか、と――
 考えています。

 ……

 ……

 まず、確認です。

 『花木蘭伝説』で――
 失恋は明示されません。

 もちろん――
 うら若き娘の戦う物語ですから――
 主人公の恋愛は、数多く存在するバリエーションのほとんどで扱われていて、なかには失恋の類いもあるようですが――

 少なくとも――
 あらすじで触れないわけにはいかないほどの重要な出来事にはなっていません。

 主人公は――
 基本的には、年老いた父親の代わりに、あるいは、まだ幼い弟の代わりに――
 国境へと出征するのです。

 その際に明示されるのは――
 あくまでも家族愛であって――
 失恋ではありません。

 が――

 うら若い娘が、いくら家族愛に突き動かされたからといっても――
 わざわざ女の身で徴兵を受け、男の服装に着替え、命の危険を顧みずに国境へと旅立つものでしょうか。

 その苛烈きわまる心の動きは――
 家族愛だけでは、ちょっと説明がつかないように――
 僕には思えます。

 では――
 うら若い娘の心を――
 他に何が突き動かしたのか――

(ふつうに考えれば、失恋以外にない)
 と――
 僕は思っています。

 例えば――
 幼なじみの男性に恋焦がれていた――

 が――
 ある時――
 その思いを拒まれて――

 行き場を失った苦悶の情念が――
 うら若い娘の心を辺境の戦地へと追いやった――

 そのように考えなければ――
 少なくとも、僕には――
 うら若い娘の国境への出征が、どうにもしっくりこないのです。

 ……

 ……

 繰り返しますが――

 失恋は――
 『花木蘭伝説』では表立っては語られません。

 表立って語られるのは、家族愛です。

 が――
 家族愛以外にも、失恋か、あるいは、失恋に比肩しうる何か強烈な出来事がなければ、『花木蘭伝説』は物語としては成り立ちがたい――

 そして――
 物語の受け手は――
 その欠落の出来事を無意識に感じとることによって、きわめて峻烈に心を動かされる――

 その出来事は、とくに失恋である必要はないのですが、それでも、失恋に比肩しうる出来事である必要はあり――
 そんな出来事が秘匿されていることを、物語の受け手は無自覚に補完する――

 その補完こそが、『花木蘭伝説』の物語の最大の特徴であり――
 かつ魅力の根源である――

 そう――
 僕は考えています。

 つまり――

 “失恋の歌”で――
 失恋の出来事が、主人公と歌の聴き手との間に一対一構造を作りだし――
 その構造が歌の聴き手の心に強く働きかけるように――

 『花木蘭伝説』の物語でも、また――
 秘匿された出来事が、主人公と物語の受け手との間に一対一構造を作り出し――
 その構造が物語の受け手の心に強く働きかけるのではないか――

 ということです。